79回目の終戦の日を迎えて

戦没者を追悼し平和を祈念する日。

愛する人を守るため、家族や大切な人々を守るため、国を守るために、戦火に散った方々、戦後、異国の地で亡くなられた方々、戦争で犠牲になられたすべての方々に心より哀悼の意を表します。

今朝も英霊の御霊に対し、畏敬の念をもって、靖国神社にお参りしました。

昨年に引き続き、今年も、お祖父様がフィリピンで戦死された御遺族と正式参拝しました。桜の木の下で、お祖父様が見守られていると思うと、敬意や偉大さという畏敬の気持ちだけでなく、靖国に吹く風が優しく孫とその友達を迎えてくれているような気がします。

戦争は外交の敗北

ロシア・ウクライナ戦争も、パレスチナ・イスラエル戦争を始め、世界中で起きている戦争を止められていないのは、政治の責任であり、外交の敗北です。

そして、誰か一人を、どこかだけを責めるのが常ですが、誰か一人だけに責任があるわけでも、どこかの一国だけに責任があるわけではありません。

それは、政治の責任回避であるのではなく、戦争を引き起こした当事者すべてに責任があるのです。世界平和を成し遂げるためには、一人一人、そしてすべての国の指導者に責任の自覚が必要であり、戦争は何があっても防ぐべきです。

暴力は許さない

安倍晋三元首相が暗殺されて2年が経ちましたが、山上容疑者による暗殺を正当化するような意見が出ていましたが、とても危険な考え方です。

我が国は法治国家であり、人を裁くのは法でしか裁けません。

言って分からないから、法で裁けないから裁くということこそ、裁く人に正義があるという宗教的発想であり、戦争を引き起こす「大義」と同じことです。

暴力は、悲しみと憎しみと恨みしか生みません。そして、これらが報復行為に発展することになり、やがて戦争につながるリスクさえあります。

平和への誓いは、世界を考える前に身近な暴力から守ることを一人一人の心の中から81億人につなげていくことが大切です。

桜の木の下で

子どもの頃、お年寄りに「みんな仲良くね」と言われました。

当時のお年寄りは、みんな戦争経験者です。

家族や友人を戦争で失った人たちでした。

このような戦禍から生き延び、我が国の復興の礎を築いた人々も年を重ね、戦後79年で多くの方々がこの世を去りました。

先人が築いた礎のもとに、現在の私たちがいます。

靖国神社には毎年、私たち日本人だけでなく、多くの外国の方々が参拝に訪れます。

私たちは、世界の中の一人の構成員であることを胸に深く刻み、一人一人から世界平和の実現を目指して行きたいです。

多くの人々が参拝する八月十五日、桜の木の下にいる英霊たちが、「みんな仲良くね」と言っているように思います。