映画「揺さぶられる正義」

犯罪者として報道された人は、後に無罪になっても、これまでの生活は取り戻せない。

監督は、刑事弁護士から、テレビ局に入社し、社内弁護士になり、その後、記者に転向しています。刑事弁護士であったこと、報道の側にあることから、自分にしかできないこととして、贖罪と覚悟の思いでつくられた映画。

 

この映画のもとになったのは、児童虐待で冤罪になった人たちです。

厚生労働省の「子どもの虐待対応の手引き」に記載されていた「揺さぶられっ子症候群」は、目立った外傷がないにもかかわらず乳幼児に硬膜下血腫が見られるケースで、SBS理論と呼ばれる揺さぶりが原因とされ、「虐待による頭部外傷」として、2010年代以降、SBS事件での逮捕・起訴が急増しました。

しかし、警察・検察が捜査した結果の有罪立99.8%の壁を乗り越えなければいけないことは、医学的な知見の異なる専門家をもって戦っても、勝つ確率が低いものと思われて来ました。

 

私たちは川崎市議会で議員提案条例として、「子どもを虐待から守る条例」を制定しましたが、この条例は、隠れた虐待から命を守るために、まずは様々な人たちが通報をしたり、保護をしたりしやすくするもので、毎年通報件数は伸び、一人でも多くの子どもの命を救いたいという想いは少しずつ進んできていると思います。

一方、通報の先に冤罪が生まれている状況についてはあまり知られていません。

通報の時点での誤報があっても、その後、逮捕・起訴後は有罪率が高いことから、この逮捕時点で顔や氏名などの個人情報が報道で晒されてしまっています。

この映画に登場していたある医師は、子どもの命を守るために、多少の冤罪はしょうがないという見解を示していましたが、一部の人を不幸にするのは正義なのでしょうか。

裁判で争う中で無罪になることがあってもいいし、SBS検証により令和6年に先述の厚生労働省の手引きでは、SBS理論は削除されたように、間違った見解が訂正されることがあるべきです。

一方、一度犯罪者扱いされて冤罪になった人たちはどのように暮らしていくのか。どのように戦うのかを取り上げた作品でもありました。

警察・検察の正義。

医師それぞれの正義。

弁護士それぞれの正義。

裁判官の正義。

報道それぞれの正義。

様々な立場の人たちの正義があり、SBS検証が進む中、これまで13件の無罪が獲得されていますが、すでに結審している事件が遡及して再審されている事例はまだありません。

 

私は思います。

確信を持つことは危険で、先入観や信じたいものによって正義は左右されます。

自分の考えやこれまで積み重ねて来たことは肯定したいし、肯定する方が、楽かもしれません。

しかし、自分を疑うこと、言い換えれば、謙虚に生きることが大切だと思います。

確信によって生まれる正義ではなく、人を信じ、自分を疑い続けた中に生まれる正義が、正義なのだと思います。

確信から始まる正義は、間違った正義につながるのではないかと思います。

 

自分が正しいと思ってから始める議論に生産性はなく、ここに人の人生がかかっているとしたら、どうでしょう。

多少の冤罪はやむを得ないのではなく、子どもの命を守り、人の命を大切にすることが使命であると考えます。

この作品は、それぞれの正義が揺さぶられたもので、揺さぶられた人の想いこそが正義なのだと思います。

 

私が文章で表現するよりも、この映画を観て頂き様々に感じて頂くことが大切だと思います。私の正義が邪魔をしているかもしれないので。

 

麻生区では今年1115()16()18()21()の午前10:00より、川崎市アートセンターにて上映予定。

 

監督の上田大輔氏は、三田学園中学校・高等学校の同級生で、この作品を通じ、いろいろと気づかせてくれたことに感謝です。