複雑な8月8日を過ごし・・・

8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日で、唯一の戦争被爆国として、戦争を避けるのが政治、国民の生命・財産を守るのが政治であると強く思う週ですが、私にとって、もう1日特別な日があり、これが8月8日です。

今から16年前の平成21年8月8日、みんなの党が結党しました。

4名の前衆議院議員と参議院議員の5名で結党。

元自民党・元民主党の議員の参加により、脱官僚主導、国民の手に政治を取り戻すという想いから新党が誕生しました。

保守からリベラルまで幅広い構成員と言えば、自民党や旧民主党と似ていましたが、「脱官僚主導」「増税の前にやるべきことがある」という共通項で結びついていたと考えれば、今求められているのが、みんなの党のような勢力なのだと思います。

今日は長文ですが、私が党本部に詰めたきっかけから、党本部での業務、議員になってから党を見たこと、そして、毎年感じる8月8日、そして、みんなの党を経たこれからの時代について、私の想いを書きました。

 

二人の党本部

私は結党直前の新党準備室から党本部に詰めることになりました。

衆議院解散後でしたので、ボスに「党本部の選挙対策のお手伝い」ということで、秘書の傍ら、事務所の事務や選挙事務を担当していたことから、新党準備室に出向を命じられました。

お手伝いと思いきや、党本部には党代表の第一秘書であるのちの事務局長と私の二人で、他には助っ人で来てくれた人はいるものの、何でも屋になりました。

衆院選は11ブロック中、7ブロックに候補者を擁立したため、7ブロックの届け出書類をすべて任され、他に人がほとんどいない中、電話番から来客対応、候補者の対応など、何でも屋で、事務局長とはワンルームマンションの党本部で寝食ともにというより、食事も難しい中の日々を送りました。

衆議院選挙後に、選挙の事務処理がある程度落ち着いた段階で、出向解除かと思いきや、秘書業務との兼務が続き、事務局長の補佐業務や実務業務を始め、党員制度づくり、政治塾の制度づくりと運営、事務局体制の確立、翌年の参議院選挙対策など、わずか三十歳の私はいい経験をさせて頂きました。

この点について、私の人生に大きな経験をさせて頂いたことに、みんなの党代表を始め関係者に感謝しています。

 

役員会への疑問

党本部でも秘書としてもそれなりに充実していましたが、党本部事務局で上げた案が役員会で変更や否決されたものが、大体失敗の原因になっていく様を見て、議員でなければ意思決定はできないと痛感しました。

 

議員になっての党不信

私は秘書として、川崎市内や麻生区担当の仕事をしてきて、やはり川崎市のために麻生区のために働きたいという想いから、2年後の平成23年にみんなの党公認で川崎市議会議員になりました。

しかし、議会会期中に衆議院総選挙があった際に、「本会議と委員会以外は選挙をやれ」という党の指令が来たり、週末に地元の声を聴くよりも、党の国会議員のために動けと強要されたりと、日々酷くなって行きました。

「国民の手に政治を取り戻す」どころか、「上級国民の国会議員のために働け」と言わんばかりの状況に嫌気がさしていたところ、参議院選挙の候補者選考方法が、ルールと関係なく、党の一部の人たちの意向で進められ、組織としてガバナンスの崩壊をしていたことから、平成25年5月、私は市議団長ながら離党・離団という決断に至りました。

その後、みんなの党の議員は国会議員も地方議員も離党者が出て、一年半後の平成26年11月28日にみんなの党は解党することになりました。

 

あの志はどこへ行ったのか?

国会で政治と金の話が出ますが、私はもっと根本的な問題を見落としていると思います。

旧文通費やパーティー券の問題は確かに問題です。また、政策活動費名目で支出されている使途が明らかではないお金も問題です。

また、企業団体献金の是非が問われていますが、そもそも政党や政党支部にしか企業団体献金は認められていないので、無所属の私にとっては滑稽な議論にしか映りません。

しかし、政党交付金や立法事務費を党の一部の人間が握ることで、党所属議員を縛る政治が進んでおり、これは中小政党の方にその傾向が見られると感じます。

みんなの党だけでなく、国民の手に政治を取り戻そうという趣旨の考えを持っている政党はたくさんあっても、政党によっては、どこか怪しい雰囲気を持っているところがあります。

みんなの党は、応援していた企業が党に期待を寄せていたにも関わらず、裏切られたという想いが起因し、信頼を損ね、離党者が増え、解党に向かいました。

政党交付金は原資が税金ですが、選挙対策や飲食に使われることも多く、同じ税金を原資とした地方議員の政務活動費とは使途範囲が異なります。

選挙対策を含めた日々の政治活動に使える政党交付金を党幹部の胸先三寸で決められるとしたら、党幹部に金で縛られることになり、「派閥だ」「パーティー券だ」「企業団体献金だ」という集め方の問題ばかりがクローズアップされますが、金権体質の本質は変わらないのは実情です。

 

複雑な想いの8月8日

みんなの党は、当時の自民党でもない民主党でもない新しい保守勢力として誕生しました。それは、官僚・企業・労働組合等のしがらみがなく、国民のための政治を進めるための政党で、保守からリベラルまでワイドな政党でした。

特定の団体を向くのではなく、思想はそれぞれあっても合意形成をはかって進んで行こうと言う体制は理想的でした。

しかし、国会議員間の権力争いが始まり、政策が国民目線でも、結局は既存の政治家と同じようなことをして、最後は政治と金の問題で信頼を失いました。

あれから、投票率は下落の一途をたどり、自民でも民主でもダメなら最後の砦がみんなの党だと思っていた人たちの信頼を失ったことは、政治不信の止めを刺したのではないかと思い続けて来ました。

まだ、「結党当時の」みんなの党があれば、今の日本はどうだっただろうと思います。

元みんなの党の政治家は、今もたくさんいますが、みんなの党精神を抱きながら続けている政治家はどれだけいるのか疑問です。

自民でも民主でもない、最後の希望として期待を背負ったみんなの党だっただけに、党が信頼を失っただけではなく、国民の政治への絶望につながったと長年引き摺っていました。

 

これからの時代を担う人たち

平成25年の法改正でインターネット選挙が解禁、平成28年の参議院選挙から18再選挙権がスタート。

18歳選挙権が始まってから9年が経ちました。

「若者の投票率が低い」と言われ、9年前はネット選挙が解禁になるも、ネットが与える政治への影響はそれほど大きくなかった時代でした。

しかし、この9年、ネットの与える影響が大きく、選挙の前後を除き、政治情報が入りづらかった人たちにも情報が入るようになりました。

また、若者は、子どものころから地域でのことを学ぶ機会があったり、社会教育に触れたりする機会も多く、社会性のある若者が増えていることから、「若者はわかっていない」という大昔から年配者が若者に対して言っている言葉は、単なる偏見に過ぎない時代になったと言えます。

「フェイクだ」

「デマだ」

確かに、フェイクもデマもあります。

しかし、インターネットでの政治活動が普及するまで、フェイクもデマもなかったでしょうか?

あらゆる情報には、正しいものと間違っているもの、何か意図がある誘導など様々な視点から、自ら検証しなければいけません。

社会は、教科書通りに正答が決まっているものばかりではなく、自らが考えて判断して生きていかなければなりません。

この点について、生まれながらにして高度情報化社会の今の若者は、私たちから上の世代の人たちと違った考えるポテンシャルが備わっています。

夢を語り合ったり、社会問題について解決策を議論したりと、国の反映と人々の幸福をもたらすことが政治の目的であり、憎しみ合うのが政治ではありません。

どの世代の人たちも、認め合い、高め合うことが政治で、議論を尽くした上で結論を出していくことが大切です。

社会性のある若者たちが時代の中心になる未来に引き継ぐため、私たちは若い人たちの声をしっかり受け止め、政策につなげて行きたい。