人として語り継がれること

3852119_s戦後2代目の私は、戦争を祖父母から語り継がれています。

父方の祖父は陸軍で中国に滞在し、現地で終戦を迎えたそうです。ただ、小学生の頃に同居していたことがありますが、今で言う認知の症状であり、その後、他界したため、戦争当時のことを直接語られた記憶はありません。

母方の祖父は終戦後、東京から淡路島への道中は、すし詰めの電車に長時間揺られて帰ったという話を生前伺いました。

終戦直後、朝鮮暴動が各地で勃発。ともに戦った日本人であったはずの朝鮮半島出身者が暴動を起こしたというものです。

祖父の部下にも朝鮮半島出身者が数名いたそうですが、彼らは敗戦後も川で水浴びをする際に、「大将、お背中お流しします」と来てくれたそうです。そこには同じ日本人の意識があり、朝鮮半島に戻ることが決まる中、祖父に「いずれ、機会を作って、朝鮮の私の故郷にお招きしたい」と再会を望み、惜別の涙を流し合ったそうです。

このような話は、一般的に語り継がれる戦争の歴史で耳にすることはほとんどなく、実体験を聴いたから知り得るわけです。

戦争という多くの人が戦地や軍の駐在に赴いていた中で、この敗戦に多くの日本人は涙したわけで、ここに朝鮮半島出身者かどうかではなかったわけです。

 

祖父から伝わったこの話は、私が中学生当時だったと記憶しています。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

祖父は、この福沢諭吉翁の言葉をよく言っていました。

終戦時二十歳の祖父は、上下関係や出身の違いということではなく、仲間であったのだろうと思います。

 

このエピソードを聞いて成長した私にとって、政治が引き裂く関係、一部の恣意的な人により引き裂く関係というのはあってはならないと思いますし、現実的にこのような残念な行動をとる人がいることが遺憾です。

 

我が国の戦争責任について、日韓基本条約締結時の日韓請求権協定により、賠償を含めた解決は為されていますので、毅然とした姿勢で対応するのは、我が国としては当然のことです。

しかしながら、戦争問題は、常に政治的に利用され、この政治利用が両国の国民感情に少なからず影響が出てしまいます。

 

日韓関係だけでなく、国と国を始めとした文化の異なる間柄で理解し合うためには、自らの考えを有耶無耶にしないということが大切です。そして、尊重し合うことで、より理解が深まります。

考えが違っても仲のいい友達がいることがいい例です。

人も政治もかくありたい。