終戦の日、正式には、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。
愛する人を想い、家族を想い、友を想い、国を想い、様々な想いを抱きながら、戦禍に散った方々、また、戦後、極寒の地や灼熱の地で、苦しみながら亡くなられた方々に心より哀悼の意を表します。
戦争は外交の敗北であり、国民の生命財産を守るという政治の責任は大きく、一つの判断を誤ることで、人々の生命や平和を脅かすことになります。
今、私たちが生きていることは、先祖があることと同時に、先人たちが様々な想いで国をつくり、国を守るために戦った人たちの心や行動が礎となっています。
終戦の日の本日、靖国神社を参拝しましたが、今年は父をフィリピンの戦地で亡くされた遺族の方とご一緒させて頂きましたが、戦後80年の節目ということもあってか、同じ時間帯でも倍近い人たちが参拝に訪れていました。
この遺族の方は、遺族会や靖国神社の講元として、戦地で亡くなられた我が国の先人たちの遺骨収集のために、何度もフィリピンに伺っての活動を長年続けて来られています。
幼少期にお父上を亡くされ、戦後の厳しい時代を、家計を支えながら学問に励み、戦後の復興と我が国成長を築いて来られた人生を、実に前向きに話される姿は、人としての寛容さと強靭さを感じるところです。
戦後八十年で、我が国で生きる人たちの九割が戦後生まれになり、戦争を直接知る人が少なくなって来ました。
私たちは戦争を避けなければいけません。
戦争は人々の命を奪うだけでなく、人々の心身を傷つけ、人々の尊厳が奪い耐え難い苦痛を与えることからも、戦争は再び繰り返されることがあってはなりません。
戦争しないために、守る力が必要
戦争を避けるためには、様々な外交努力が必要になります。また、あまり報道されませんが、領海や経済水域上での外国船の日々の挑発行動に、海上保安庁始め海上自衛隊などの関係職員の命懸けかつ冷静な対応をされていることで、我が国が一触即発の厳しい中で平和が維持されているということを改めて想います。
「武力がなければ戦争が起きないから、我が国は武力を持つべきではない」という考えの人々がいますが、すべての人が同じ想いであれば、それは可能でしょう。しかし、武力行使を行う国やその指導者がいる限り、国民の生命財産を守るための武力は必要です。
生活の中に警察があることと同様に、国家間での争いを想定し、国防について現実的な議論をしていくことは重要です。
平和外交は議論から逃げることではない
平和外交は、我が国の考えを主張しないことや、議論を避けることが平和なのではなく、真の平和を追求することは、国と国が互いを尊重することから始まります。
そして、互いを尊重する上で、我が国の国民が自国に誇りを持つことが重要です。一方、この話は、国を愛する気持ちを強制するものではなく、自国をよく知るということから始まります。
毎年、靖国神社を参拝しますが、ここに神として祀られている戦没者の方々は、身分、勲功、性別に関係なく、どのような立場にあった人も、一律平等に祀られています。
愛する人、大切な人を守るために、軍人として戦った方々、救護にあたった従軍看護師、女学生、軍需工場で働いていた中で命を落とされた方々が祀られています。
私たちは愛する人や大切な人、そして祖国を守るために、それぞれの立場で戦った英霊の御霊に感謝し、平和を祈念する一日にしたいです。
英霊の御霊は靖国神社の桜の木の周りで、今も我が国を見守って下さっています。
私たちは、感謝と誇り、そして寛容をもって生きていくことで、世界平和を目指して行きたいと思います。
