君子の交わりは淡きこと水の如し

無所属の私は、敢えて辞めたみんなの党についてどうこう言うべきかどうか迷いましたが、柿沢未途衆議院議員の離党は、事務局チャーターメンバーとして非常に残念なことだったので私の気持ちを書かせて頂きます。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」とは、君子の交際は、水のように淡白であるが、その友情はいつまでも変わらないということ。
一昨日の会見で、柿沢議員が述べた言葉で、懐かしく、寂しい気持ちになりました。

一昨日、柿沢未途衆議院議員がみんなの党を離党しました。

会見によると、渡辺代表から離党を強要されたようですが、浅尾幹事長が言うには政界再編の枠組みで目指す方向性がどうのと、まだ再編の兆しすら見えていない状況で後付けの理由。

後付けで理由を捏造するのは、先の参議院神奈川県選挙区の候補者選考のときと同じで、ご存知のとおり、その当事者であった私は、みんなの党の常套手段になってしまったんだと痛感しました。

国会会期中に法案の賛否で党の考えとどうとか、再編が具体的になった段階で党の見解とどうというのならまだしも、公党の代表が理由も明確に話せず「出て行け」。こんな理不尽なことはないと思います。

柿沢議員は、都議時代に酒気帯び運転での自責事故をおこし、議員辞職したという背景がある中、渡辺代表に師事していたことから、みんなの党結党に参加しました。現職・新人合わせて15人が立候補した中、当選5名のうち、国政の唯一の新人初当選を果たしたのが柿沢議員でした。ゆえに結党理念を最も持っている数少ない一人と言えるでしょう。

新党準備室から結党後1年過ぎまで事務局を統括していた私は、柿沢議員が常に謙虚で、都議を辞職しあらゆる方に迷惑をかけた分、働かなければという意識で活動されている姿を見てきました。国会であれだけの数の質問を行うという原点は、ここにあったのかもしれません。

私を含め、結党時の事務局チャーターメンバーはすでにいなくなり、今度は柿沢議員の離党により、国会議員のチャーターメンバーが去りました。党そのものが変わってしまったということです。

先日の江田憲司議員の幹事長更迭は、選挙の総括と使途不明金問題解決に声を挙げたがために行われたものと見受けられます。

そして、今回の参議院選挙結果は客観的に見ると「負け」。改選議席が3だったから勝ったような言い逃れをしているものの、選挙区で4なのに比例で4。しかも、逆風だったはずの同じ第三極の日本維新の会に比例獲得議席数が2つも負けている。さらには、あと全国で五千票を獲得すれば、比例獲得議席は1増えていたという始末。東京選挙区の選挙戦略について、柿沢議員からも厳しい指摘がありましたが・・・。

この選挙の責任者である選挙対策委員長だった浅尾慶一郎議員が処分されるどころか、幹事長に昇格。支持率が低く、注目されていない政党ゆえに問題が大きくなっていないだけではないでしょうか。

会社に例えると、みんなの党はこんな状況と言えるのでは・・・

ベンチャー企業を立ち上げ、4年の間に、個人商店から上場企業になるべきだったのに、株式公開すべきと言っていた専務を更迭し、個人商店のまま進む。また、常務がプロジェクトに失敗したにも関わらず専務に昇格。そして、パッケージだけにこだわり、本来の商品の中身が変わってしまっていること、管理職が執行する職務の質や統率力よりも好き嫌いで社内人事を決めている。

私は会社で言えば、本社総務部統括課長兼営業部統括課長→川崎支店副支店長→川崎支店長というところでした。支店内で人事を決められましたので、私は支店長まで出来たわけですが・・・。

柿沢議員が会見の最後に結党直後の時代が「懐かしい」という話をしていましたが、私も同感でした。以前に離党の時のメッセージにも書きましたが、その当時の渡辺代表は仲間を大切にされていました。

「君子の交わりは淡きこと水の如し」

みんなの党はそんな政党だったはず・・・。三か月ぶりに改めて感じました。

柿沢議員は東京都第15区より小選挙区で選ばれた衆議院議員。小選挙区選出議員として、今後も国家のためにがんばってもらいたいです。