福田紀彦市長も実は天下り?

 

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12月19日、市内分権と市長の公約について、福田紀彦市長に質問しました。
「役人市長は会議室で決める」
「市民市長は身近なことは区で決める」
選挙ビラの筆頭に書いてあること。
福田市長は自らを「市民市長」と言って、選挙に当選したものの、ほとんどの分野において具体的な答弁がなく残念です。
まして、この選挙ビラ筆頭に書いてある区への権限移譲について、国の動向を注視して、議会と市民の意見を聞いて検討して行きたいという曖昧な答弁を繰り返し、ビジョンが見えないのです。
結局どこで決めるの?
あまりに答弁が不誠実であり、結局何を目指しているのかまったく分からないので、先ほど取り上げた選挙ビラの筆頭に書いてある政策比較表の上にあった「天下り市長にNO!市民市長にYES!」というスローガンについて質問しました。

 

本来は、財政と福祉を争点にした政策論争が繰り広げられるべきだった川崎市長選挙。福田市長が選挙で無理矢理争点にした「天下り市長」か否か。
その「天下り市長」の定義について尋ねましたが、「一般的」とか「そういった」など全くもっていい加減な答弁。
挙げ句の果てには、国家公務員経験者が市長になると天下り市長という福田市長の独自見解。
ここで敢えて、「国家公務員全般ですよね?」と確認したら、そうだという答弁。
すると、衆議院議員公設秘書経験者の福田市長も国家公務員経験者であり、天下り市長になります。
「天下り市長にNO!」
言うなれば、福田市長は、自分で自分にNO!と言ってることになる。
という、福田市長の矛盾点を指摘しました。
東京都知事が政治と金の問題で辞任することになりましたが、他方川崎市では福田市長が自分でキャッチコピーの内容も説明できず、挙句の果てには嘘だったと認めたようなもの。
実現できない公約があるというレベルではなく、根本から信頼を裏切ったことに何も感じない様子の福田市長は、「悪しき政治家市長」と言わざるを得ません。
そして、公務員だった人を「天下り」と言って、公務員というだけでいたずらに批判を助長する福田市長に悪意を感じます。

 

以前に天下りの定義を書きましたが、天下りには二つの定義があると考えます。
① 公務員が退職し、勤務した行政機関と関係の深い民間企業や政府関係機関、公益法人などの幹部職に就くこと。
② 中央地方関係での天下りとは、いわゆるキャリア行政官が、「籍」を中央官庁に置きながら都道府県などに派遣されること。
すなわち、天下りは人事になっていることが定義であり問題。
よって、「天下り市長」という表現はそもそも不適切。
なぜなら、市長は公選だからです。