とある建物を見て、サラリーマン時代の様々な記憶が蘇りました。
それは、社会人として初めて営業冥利に尽きるという思いをして、お客様より自信と責任を頂いたことでした。
一般的な販路は、
建築設備メーカー→商社→設備業者
となっていて、そのお客様は商社の方でした。
私は加工管メーカーだったので、物件ごとにオーダーメイドの仕事を頂く立場でした。オーダーメイドゆえに、 直接設備業者から依頼を受け、商社を経由して販売するケースと、商社から現場を紹介してもらうケースがありました。
建築設備メーカーでしたので、物件ごと、こと物件規模で定価の掛け率が変動します。
当時はデフレに合わせ、メーカー最大手が倒産した直後ゆえに群雄割拠の時代で新規参入もあったため、日々価格が下落。それに対し、北京オリンピックや上海万博を数年後に控えていた影響で材料の仕入れ価格が高騰する逆ザヤに陥りそうな時代でした。
掛け率を物件ごとに変動させても利益率が上がらないことが多かったです。
そんな中、営業としては当たり前ですが、損益分岐ラインを切らないように、また、価格交渉を考慮した提示をします。
しかし、この商社のお客様は、一切価格交渉せず、こちらの提示通りに契約して下さいました。一件二件ならまだしも、数件続けても全く価格交渉の声がなかったため、ある時、こともあろうに「掛け率このままで大丈夫ですか?」と尋ねてしまいました。
すると、そのお客様は言いました。
「月本さんと仕事をする対価だと思っています。月本さんなら最後までしっかりやってくれる。私はそんなメーカーと仕事がしたい」
嬉しかったと同時に、強い責任を感じました。
このお客様は自身の課の仕事で加工管が現れると全て私に発注してくれました。それに応えるべく、一生懸命取り組みました。
縁あってこのお客様の担当している設備業者に私の上司が転職しました。
元上司が転職後も可愛がって下さり、その設備業者の社長さんにも可愛がって頂きました。この社長さんの縁がゆくゆく私の政治の道に大きな影響を与えることになるとは、その時は夢にも思ってなかったのですが。
人の縁というのはありがたいです。
この縁に支えられて今があります。
いろいろなご縁に恩返しすべく、懐かしい物件を見た今日から気持ち新たにがんばります。