先日、ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の恩赦取り消しの報道がありました。
フジモリ氏は、日系人初の外国の国家元首になった人で知られていますが、大統領在任中の軍による人権侵害で日本へ亡命。
「亡命」という言葉が適切なのかどうかというのが、フジモリ氏が日本国籍保有者で国家元首になりながらの二重国籍は認められるかと言う争点でした。
二重国籍の場合、国籍法では22歳になるまでに、国籍選択をしなればいけません。仮に選択しなければ、自動的に日本国籍を選択したことになるのが我が国の法律です。
また、国籍法第16条2項では、外国の国籍を失っていない日本国民が自己の希望によりその外国の公務員に就任した場合において、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、法務大臣は日本国籍の喪失を宣言することができる旨の記載があります。
ペルー生まれしかなれないペルーの大統領ですから、このときに日本国籍は喪失されているべきだと思いますが、国籍選択ではなく、みなし選択者なので、日本国籍の保有は認められるという結論でした。
また、日本の国会議員で二重国籍問題がありましたが、これも選択を忘れていたで済まされる問題なのかどうかです。
ただの国会議員と大臣経験者でもその重さは違います。
国務大臣のパスポートは「外交旅券」。
すなわち、総理大臣や外務大臣でなくても、国を代表するわけですから、外交官にもなるわけです。
我が国の外務公務員法第七条では、「国家公務員法第三十八条の規定に該当する場合のほか、国籍を有しない者又は外国の国籍を有する者は、外務公務員となることができない。同条2項では、外務公務員は、前項の規定により外務公務員となることができなくなつたときは、当然失職する。」
他国の国家元首までやっても二重国籍として我が国の国籍保有を認める我が国。
今は二重国籍の政治家はいないと思いますが、大臣経験者が二重国籍だった我が国。
工業製品を始めとした世界に誇れる科学技術を有し、ミスのない安全なものづくりを進めている技術者・研究者の集まる我が国において、政治的要素の強い、二重国籍問題とその結末について非常に曖昧な我が国です。
ちなみに、我が国の法律では、生まれながらでなくても、日本国民になれば、内閣総理大臣になることは可能です。
米国は寛容な国のイメージですが、米国大統領には生まれながらの米国人しかなれません。
というのも、現在の法律に沿った形で、法律は時代とともに変わります。
寛容ではない曖昧さは、不正を生み出すリスクがあります。
二重国籍問題は、人権を守る上で重要になりますので、曖昧な解釈ではなく、しっかりとした結論を見出すべきです。