映画「ヒゲの校長」

昨日、川崎市アートセンターで谷進一監督の映画「ヒゲの校長」を鑑賞。

大阪市立聾学校の校長を長年務めた高橋潔氏の半生を描いた作品。

大正期から昭和にかける時代、ろう者には手話法よりも口話法がよいと考える人が多い時代でした。

仙台出身の高橋氏は大正3年、大阪市立聾唖学校に奉職。

耳が聞こえず会話ができず、人に伝えたくても伝えられずに悩む子どもたちに接し、手話を覚え、子どもたちに寄り添いました。

昭和8年、文部大臣から口話法推進の訓示があった全国聾唖学校校長会で、高橋氏は、手話の大切さを伝え、手話が適している子ども、口話が適している子ども、口話と手話の両方の習得が適している子どもがいて、それぞれに合った教育が必要であるという考えを主張しました。

口話法とは、「口話」は、口の形から言葉を読み取り、また、その口の形をまねることで発声訓練をすることです。

【一部引用元:NHK手話と口話-ろう教育130年の模索-より】

https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/430/

高橋氏は、手話か口話かの対立ではなく、両方に長所があり、ろう者の聞こえ方によって、それぞれの人に合わせた教育をすべきということでしたが、口話法が主流の時代になかなか受け入れらなかった中でも、粘り強く、ろう者の言語を守るために尽力されました。

この映画の上映にあたり、麻生区聴覚障害者協会の方からご案内頂き、昨夜のスケジュールに合わせて、アートセンターを訪れ、谷監督ともお話させて頂きました。

この映画は、手話が時代背景やその時代の考え方のうねりの中で、現在に至るまでに様々な苦難がある中でしたが、言葉の大切さ、言葉の身近さ、そして、何より手話がやさしいものであると感じさせてくれました。

コロナ禍の3年で、分断や対立が起きている時代にあって、高橋潔氏が互いの理解や他者の尊重により、手話か口話かではなく、ろう者の生きる言葉を守った昭和初期のエピソードは、私の胸に強く浸み込みました。

手話を学ぼうと思いながらも、難しいものだと思い込んでいたため、躊躇していましたが、この映画で手話の成り立ちを知り、一つ一つの手話の表現が身近に感じられ、私も学ぼうと思います。

ぜひ、多くの方に観て頂きたい作品です。

#ヒゲの校長