新緑の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。平素は格別のご厚誼にあずかり、厚く御礼申し上げます。
さて、5月21日、私こと月本琢也は、みんなの党本部に離党届を提出しました。そして、5月22日のみんなの党川崎市議会議員団の団会議にて、団長の辞任および離団願いを申し出、承認されました。
この度の離党・団長辞任および離団により、市民のみなさま、市関係各位、党関係各位、そして、ともにこれまで活動してきた、みんなの党川崎市議会議員団の同志に、多大なご心配・ご迷惑をおかけしましたことに、まずもって心よりお詫び申し上げます。
私は、一昨年の川崎市議会議員選挙にて、麻生区より9011名の方から貴重な一票を頂き、当選させて頂きました。今回の離党は、市議会議員として、川崎市のため、麻生区のために私がお約束した政策を実現する上で、みんなの党を離れた方が、その近道であると判断したものです。
思い返せば4年前、国家の成長と小さな政府を目指す、脱官僚・地域主権・生活重視のアジェンダのもと、平成21年8月8日、私はみんなの党の結党に参加しました。
我が国は、都市部から農村部・山間部まで様々な地域で構成され、その地域地域による課題が異なる中、地域主権型道州制の導入を始めとした地方の時代を迎えるさきがけとして、みんなの党は中核的役割を担うべく結党されたはずです。
私は、みんなの党の新党準備室から始まり、結党後の党本部の運営を担当していました。寝る間を惜しみ、家に帰れない日も多々ありました。しかし、理想を実現できる政党をつくるべく、渡辺代表・江田幹事長を始め、私が秘書をしていた山内国会対策委員長などの国会議員、そして秘書やスタッフと一緒に事務局の要となって様々な壁を乗り越え、新たな時代を拓くべく、活動を進めていました。
その後、私が住む川崎市のため、地域主権の時代を作るため、一昨年、川崎市議会議員に初当選し、みんなの党川崎市議会議員団の副団長として2年、今春から団長として活動して来ました。
しかしながら、結党後まもなく4年という時期に、政策集団と謳う政党でありながら、また、「誰とやるかより、何をやるか」と標榜しながら、参議院神奈川県選挙区の候補者選びでは、「誰なら勝てるか?」という議席数確保に執着し、結果ありきの一部国会議員の独善的な候補者選考が行われました。
4月12日に神奈川県地方議員総会が開催され、参議院神奈川県選挙区の候補者について出席議員から意見を聞くということになり、出席者から2名の名前が挙がり、その割合が、6割と4割の比率でした。その後、4月25日に神奈川県連絡協議会で、名前の挙がった2名では一本化できないということで、「この両氏以外の第三者から候補者を探す」という党三役会議の結果が報告されました。
しかし、その後、この党決定を覆すような嘆願書が密室で作成され、署名されたことは、党が参議院選挙の候補者選考を公開する方針と、まったく逆行してすることです。
第三者から決めるという決定を何の理由もなく、また公式に撤回することもなく、「白紙であって、第三者という意味ではないという」という詭弁を用いられ、その一方を候補者にしてしまうという行為は、党のガバナンスが崩壊し、政党助成金を受けている公党としてはあるまじき行為であると考えます。
みんなの党は、触媒政党として、政権交代プラス再編を目指すという立党精神から、政権政党を目指すという方向にいつの間にか変わってきました。しかも政権政党を目指すためには、ただただ数を増やそうとしている状況が続いています。
高邁な理想を掲げているアジェンダとは異なり、実現を考えずポピュリズムに訴え、参議院選挙の候補者選考にあたり、「勝てる候補」というかつて政権を取って失敗した政党と同じような方向に転じていることはまったくもって遺憾です。
結党時に立ち返り、表面的なことだけでなく、実現ベースでのこだわりを示していくことが、既存政党でできなかった政党姿勢であり、仮に政権政党を目指すというなら、目先の議席確保ではなく、20年、30年先、あるいは国家百年の計を考えられる人材を輩出していく姿勢が必要と考えます。
よって、私は党の基本政策に賛同するものの、政権担当能力のない政党であると判断し、離党を決意致しました。
私は、党本部において、前々回の衆議院総選挙、前回の参議院選挙の事務責任者であったと同時に、党の総務機能の要として、様々な経験を積ませて頂きました。渡辺代表は、夜中に出張から帰り、帰宅する前に党本部を訪れ、国会議員と秘書という上下関係ではなく同志として激励してくれた姿に感銘を受けたこともありました。結党時30歳という若さでありながら、渡辺代表、江田幹事長を始めとした結党時の国会議員、ならびに影となり日向となってともに活動してきた先輩後輩同志のご指導により、私を党の事務局の要として重要な経験を積ませて頂きましたこと、心より感謝申し上げます。また、みんなの党川崎市議会議員団の5名の同志と、市政発展のために志をひとつにしてこれまで活動できたことを誇りに思うとともに、心より感謝致します。今回の離党という行動のけじめとして、団長辞任・離団によるご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
そして、4年に渡り政治活動の機会を与えてくれた、みんなの党に重ねて感謝致します。
今後も川崎市議会議員として、川崎市政発展のため、地域のために働いて参りますので、引き続きご指導・ご鞭撻賜りますよう、心よりお願い申し上げ、離党・団長辞任・離団のお詫びとご報告とさせて頂きます。
川崎市議会議員 月本琢也